喜怒哀楽を表す場所。

10月25日になると。

思い出す人がいます。ペイン・スチュワート(Payne Stewart, 1957年1月30日 – 1999年10月25日)。1999年の10月25日にプライベートジェットの墜落によってこの世を去ったメジャーチャンピオンです。

1999年の全米オープンは、いまだに私が思うプロゴルフのベストゲームです。フィル・ミケルソンとペイン・スチュワート、そしてタイガー・ウッズも絡むしびれる最終日でした。舞台はドナルド・ロスの傑作、パインハースト No.2(ノースカロライナ州)でした。

ギャラリーの声援に笑顔で応えるミケルソン。そして、終始ガムを噛みながらポーカーフェースを決め込んだペインの姿が、今もありありと浮かんできます。

1999 U.S. Open – Payne Stewart 

Driver: Titleist Titanium 975D 9.5
3 Wood: Orlimar Tri-Metal 13
Irons (2-9): Mizuno MS 4
Wedges: Mizuno MP14 (PW) Cleveland 588 (SW) Ping Zing 2 (LW)
Putter: See More
Ball: Titleist Tour Prestige 90

激闘を制したペインが選んだ道具たちです。彼はナショナルオープンである全米オープンに人一倍思いれがあり、これを獲るためにこの年、クラブ契約を破棄し、自由な立場で好きな道具を集めてプレーしていました。2018年はクラブ契約フリーの選手(パトリック・リード、ブルックス・ケプカ、フランチェスコ・モリナリ)が全メジャーを制した年でしたが、19年も前にペインは契約に縛られず、好きな道具でプレーすることの大切さに気づき実践していたのです。余談ですが彼のドライバー(タイトリスト975D)には、確かダイナミックゴールドスチールが入っていました。

ペイン・スチュワートは、1999年の全米オープンで最終日、最終ホール、最終パットがカップに沈むまでポーカーフェースを貫きました。そして、長いパットが決まった時、この試合で初めて、これ以上ない派手なガッツポーズとともに感情を露わにしたのです。私は「ゴルフの喜怒哀楽は、グリーン上で表すべき」、そんなことをこの試合のペインから教わった気がします。すべてのショットは、最後のパットのためにあるのだと。

我々はティショット、とくにドライバーの飛距離に注目しすぎているのかもしれません。飛んだ、飛ばなかったとティグランドで喜怒哀楽を爆発させている、そんな気がします。ロングショットは、アプローチ、パターまでの助走にすぎない。10月25日になると、ペインの冷静なプレーぶりを思い出し、そんなことを考えます。

 

この記事を書いた人

CLUBER

Cultivator/ Yoshiaki Takanashi
ゴルフの雑誌作りに携わって20余年。独立起業してから5年が過ぎたモノ好き、ゴルフ好き、クラフト好き、信州好きな、とにかく何かを作ってばかりいる人間です。
ポジション・ゼロ株式会社代表/CLUBER BASE TURF & SUPPLY主宰/耕す。発起人
記述は2018年現在