ダイジェストの良心

ゴルフ雑誌の編集者に憧れた、高3当時に買ったChoice誌。

高校2年、進路相談の時。将来のことを想像した。率直にプロゴルファーか、ダメならゴルフ雑誌の編集をやりたいなと思った。プロ云々の件は、もちろん誰にも言い出せなかった。無理なのはわかっていたから。いや、テレビで見ていた大古師範代にはお手紙を書いたっけ。どうすればプロになれますか? 僕は何をしたらいいですか?と。

今思うととても恥ずかしい。反面、そういう無鉄砲な感じが恋しい気がする。

師範代の奥様からは、主人が「進学してからでも遅くないからとにかく今は受験を頑張って!プロの世界は甘くはないですよ」と言っています、という主旨のこ返信をいただいた。そうだなって思った。

2、3日悩んで、やっぱり愛読書だった「Choice」や「月刊アサヒゴルフ」の編集をやりたい。将来の目標をそう決めた。

たぶん1987年の春のことだ。

それから約40年経った。

上京してすぐ編プロでバイトして、すぐに「アサヒゴルフ」で記事を書けた。「パーゴルフ」や「ALBA」のページ制作に関わることもできた。 そして最も深く長く関わったのが「ゴルフトゥデイ」、ここでメーカーの開発拠点をかなり深く取材できた。そして、フリーになった直後から今日まで、念願の「Choice」のページ作りに関わらせてもらうことができた。

最初、「Choice」の奥付けに自分の名前が載った時、17歳で見た夢が叶った気がして感慨深かった。

その憧れの「Choice」が休刊となるという。編集長から連絡をもらった時は、感謝と一緒に寂しさが溢れた。残念だなって思った。でも、「Choice」に似合うゴルフでは、すでに無くなってしまっている気もしていた。悪い意味ではなく、いい意味で成熟したのだろうと思っていた。とくにずっと追いかけてきたゴルフクラブ開発の世界は。

90年代の手探り、試行錯誤。先が見えなかったから開発現場は情熱的で、それが物語としての面白さ、深みのようなものになっていた気がする。

今は、80年代後半からずっと開発者が追いかけてきた「進化の方向」、つまり、こうすればもっと飛ばせる!の答えはすでに出ている状態。先が見通せている状態にあるのは、素晴らしい反面、少し寂しい。

深く掘りようがない寂しさだ。

「Choice」が無くなるのが寂しいのか、クラブ開発が成熟してしまったから寂しいのか。実はよくわからない。だぶん、どちらもだ。これからは道具に過度の進化を求めず、自分自身のマインドを進化させて、ゴルフをもっと楽しいものにする時代になるだろう。良いモノを正しく使う段階に入ったのだ。

読んで知るのではなく、打って気づき「身につける」。

ゴルフ文化の深いい話は「Choice」バックナンバーに書いてあるし、一生色褪せることはない。

ゴルフ好きとして「Choice」にありがとうと言いたい。「Choice」があったから、私の今があるのです。

この記事を書いた人

CLUBER

Cultivator/ Yoshiaki Takanashi
ゴルフの雑誌作りに携わって20余年。独立起業してから5年が過ぎたモノ好き、ゴルフ好き、クラフト好き、信州好きな、とにかく何かを作ってばかりいる人間です。
ポジション・ゼロ株式会社代表/CLUBER BASE TURF & SUPPLY主宰/耕す。発起人
記述は2018年現在