几帳面な日本人はそれが故に本質を忘れ、数字や決め事に執着しがちだ。自称ゴルファーという人達はその傾向が強い。18ホールPar72を最良と思い、Par5とPar3がアウトインにそれぞれ2ホールが最良だと思い、グリーンは硬くて速いのが良いと思う節がある。
職業ゴルファーはときに我儘を言う。こんなコースセッティングだとプロの技が見せられない、という大会運営者もいるが、どういう技が凄く、どういう技をファンに見せたいのだろうか。平常営業に整わない特別に上質なコンディションがあったとしたならば、それはショービジネスだけに与えられる檜舞台だと考えているのだろうか。普段自分たちが経験したことのあるコースで、あんな所からあんなショットであそこに止めた、のほうがゴルファーには凄さが伝わるのではないかと思う。
プロの技がお手本だったのは今も昔も変わりないのだが、いまはスイング論に偏重し過ぎてるように思うし、ゴルフの本場で使えない技を教えているようにも感じてしまう。だれが責任でもなく、欲するものを与えているのだろうが、それが故に簡単便利なものに変質しているように思う。
林に囲まれた平らで広いコースが人気らしいが、どことなく回遊式庭園のようなそれは無風が故の日本式ゴルフの特徴なのかもしれない。2千を超えるコースが右に倣えとそこを目指しているのかもしれないが、それが最良なのだろうか。
スプリンクラーが完備されたオールドコースは昔より青く美しい。リンクスも愛したゴルフ設計家の加藤俊輔さんが度々口にしていた、あそこは自然のままだったころが美しく、らしかった、という言葉を思い出す。プレイアビリティーを整えるための過度の人為的行為はリンクスコースには似つかわしくないのかもしれないと、止まりやすくなった150回全英オープンのグリーンを観てそう思う。
ゴルファーはあるがままを受け入れ、コース提供者はあるもので最良を目指す、そのくらいの塩梅でゴルフは楽しめばいいんじゃないかと思うし、ゴルフは本来そういうものだったのかなと思う。ライとはその地に育つ草を刈りこんだもの、その地のゴルフを楽しむのが旅ゴルフの醍醐味でもあると思う。金太郎飴は好きじゃない。