無む 

花たちが咲き誇る春先、風が強い日が多いですね。

歩くということそのものが修行になるんだとふと思った。

最近、ずっと歩いて通勤しているけれど、無心で歩く、というわけにはなかなかいかない。とにかくいろいろなことを考えてしまう。実はそれが自分の気持ちを整理することにもなっているのだ。

なんとなく無になるために坐ったり、歩いたりするわけじゃないんだなと思う。とにかく考えを巡らす時間を暮らしの中に持つことで、迷いが無くなっていくのではないか。絡まっていたものが解れていくのではないか。そんな気がしたのです。

「無」とは、何も思わないことではなさそう。考え尽くすことで何かが「無」になるのではないか。そんなふうに思う。無になろう、無になろう。よけいなこと考えるな、考えるな。そんなふうに頑張るより、静かに、落ち着いた心持ちで、とにかく考え尽くす。そうすればたいていのことは「吹っ切れる」。それが「無」なのではないかと思ったりするのです。

この記事を書いた人

CLUBER

Cultivator/ Yoshiaki Takanashi
ゴルフの雑誌作りに携わって20余年。独立起業してから5年が過ぎたモノ好き、ゴルフ好き、クラフト好き、信州好きな、とにかく何かを作ってばかりいる人間です。
ポジション・ゼロ株式会社代表/CLUBER BASE TURF & SUPPLY主宰/耕す。発起人
記述は2018年現在