視点、変えれば。

白木の本体に使った木は各地で採取した天然木。虫食い跡も個性ということで。

始めて365日、すなわちやめて365日。

ゴルフだけが「耕す。」のテーマではないぞ!ということで、CRAFTというカテゴリーを設けています。このあたりは、発起人の特典ということでお許しいただければと思います(笑)

さて、写真は去年の今頃からせっせと作っている「木のたばこ」です。

旅先で出会った、ビビッと“感じた”木の落ち枝などを拾ってきて作っています。

北アルプスを望む高台にあったコナラの木でも/長野県松本市

白い本体部分の木は、こうした木の下で採取した枝で作っています。赤っぽいフィルター部は買ってきたエンジュやチェリー、ブラックウォルナットなどで、寄木のやり方で本体と圧着してあります。

では、なぜ、こんなものを作っていたかといえば、「たばこ」をやめたかったからなんです。ずっとやめたいと思っていても、なかなかやめられない。「たばこ」って本当にやっかいです。ここまで何回もチャレンジして失敗を繰り返してきました。

でも、もう一年以上、まったく吸っていません。苦しくもありません。それは、普通の「たばこ」をやめて「木のたばこ」を始めたからなのです。

そもそも、「木のたばこ」って何?ってことですが、これは前述した通り、2種類の木を圧着しタバコのように大きさと形を整えたもの。長さや曲線作りなど、細かくはものすごくこだわりがありますが(汗)、簡単に言えば「木の棒」です。これを「たばこ」をやめて以来持ち歩き、吸いたくなったタイミングで指に挟むのです。それだけです。火を点けたり、口にくわえたりしません。指に挟んで、たまに灰を落とす仕草なんかをするだけ(笑)

やってみると、それだけで十分満足することがわかりました。よく指先には脳がある、なんて言われますが、指に「木のたばこ」を挟んでいると脳はたばこを吸っている、と認識するのかもしれませんね。個人的には、禁煙の難しさはいつも携行していた嗜好品がパッと目の前からなくなることにあると思います。持ち物が失くなってしまった喪失感から来る大きな不安です。実際、「木のたばこ」を今取り上げられたら、不安で仕方ないと思います。きっとすぐに新しいのを作ると思います。夜なべをしても(汗)

オリジナルの焼印を作って押していますが、これも浮いたたばこ代から捻出したと考えればなんてことはない出費です

何が言いたいか、というと。視点を変えれば難しかったこともクリアできるということなのです。私の場合は、「たばこ」をやめる、を「木のたばこ」を始める、でクリアしました。やめただけではきっとやめられなかったと思います。始めたことでやめた感を消せたのがよかったのだと思います。

この「木のたばこ」作戦。今のところ、私にしか響いていない孤高のカルチャーです(笑) でもそれでいいのです。実際、私は、たばこを吸わないでいられますし、創るのは愉しいですし、手入れしながら木の色合いがエイジングされていくのを見ているとどんどん愛着が湧いてきますし。さらに、それぞれの木を採取したお気に入りの木がある場所とのつながりも日々感じられて幸せです。個人的にはパーフェクトな工芸品だと自負しております。

まんべんなく持ち歩こうと思っていますが、なぜか特定のお気に入りができてしまう。不思議なものですね

欲しいと思うこと。それを探すこと。そして、なければ自分で作ること。その出発点は自分なりの視点を持つことにあると思います。すべてのモノが売るために作られているわけではないのです。民藝運動を推進した柳宗悦さんは、暮らすために手作りされた生活道具に“用の美”を見出しました。CRAFTの原点は、必要だと思うこと、使うために作ることにあるのだなぁと改めて思います。買うこと、与えられること、トレンドに乗ること。それに慣れてしまいがちですが、自分なりの視点で「創る」のも大事。そんな気がします。「創る」のはモノではなく、きっと自分だけの豊かな時間なのでしょうから。木を削りながらそんなことを考えたりしていました。俺も「木のたばこ」始めたい、と思ったらご連絡ください。一緒に作りましょう。

買った「木のたばこ」では、効果がないかもしれません。

 

 

 

この記事を書いた人

CLUBER

Cultivator/ Yoshiaki Takanashi
ゴルフの雑誌作りに携わって20余年。独立起業してから5年が過ぎたモノ好き、ゴルフ好き、クラフト好き、信州好きな、とにかく何かを作ってばかりいる人間です。
ポジション・ゼロ株式会社代表/CLUBER BASE TURF & SUPPLY主宰/耕す。発起人
記述は2018年現在