民藝好きなら“用の美”という言葉を知っているだろう。
名も無い日用品の中にも美しい輝きが存在する。自分の目で観て、手にとって、使って。自分の感覚をもって眺めれば、自分のお眼鏡にかなう美しさに気づくことができる。
今は何度目かの民藝ブームの最中で、結局は柳宗悦はじめとするレジェンドたちが見出した焼き物やあれこれが「やっぱりいいね」と持て囃されている。民藝店の品揃えも似たり寄ったりだ。もちろん、レジェンドたちの審美眼は素晴らしいが、結局その感性で選ばれた民藝品がブランド化して一定の評価を受け続けているような現状は、本来の民藝の精神とは違ったものであるかもしれない。日常の中にある美しさを、自分の目で発見することこそが愉しいのだから。
道具というものは、ニーズが違えばその形を変えるものである。使う人が違えば、正解が変わるのだ。全ての人を満たす道具は存在しない。
誰かが美しいといったものを美しいと信じる。誰かがよいといっていた道具をいいものだろうと信じることは悪くない。ただ、最終的には自分の感覚でジャッジを下せるヒトではいたいと思う。そして、自分がいいと思ったものを他人に押し付けないようにしようとも思う。
美しさも道具も人による。だから奥深く、興味が尽きないのだ。