美しいもの、美しいこと、美しいさま。美にはいろんな概念がある。 そもそも美とは。 この頃そんなことを考える時間が増えている。
例えば古代エジプトで美しいとされたものは現代人にはどう映るのだろうか。 何千年も経過したものはどう変質しているのだろうか。 変質しないものを美しく感じるのだろうか、変質の在り方を問うのだろうか、風化消滅したほうが美しいのだろうか。 無知に近い人間が半世紀程度生きたくらいの価値観で判断することは唯の当てずっぽうかもしれないが、それでも考えないよりはましだと思っている。
身に着けるもの、学ぶこと、信じること、口に入れるもの、発する言葉、書き残す文字、変質し続ける自身の身体。 いろんなものを美しくありたいと希望しながら生きてきたつもりだが、結果は中々伴うことが無い。 もしくは目の前にある事実が半世紀の結果なのだろう。
親の年を考えるとあと四半世紀くらいは生きていたいと希望はするが、それとてどうなるかわかならい。 自身の希望が叶うことが限りなく少ないことは、もう十分にわかっているつもり。 それでも出来るだけ美しくありたいと願い、せめて汚くないようにと願い、ミノムシのように暮らしていくつもり。
枯れ落ちたツルアジサイに何を思うのか、積もった雪に何を思うのか、太陽の光に何を思うのか。 十人に聞けば十人が違うことを答えるであろうことの正解を探すようなものなのかもしれないが、やはり美は意識して暮らしたい。