穴だらけのジグソーパズル。何年も見つからなかったワンピースがいくつも続いて見つかることがある。ちまなこになって探していても見つからなかったのに、何年か経ったある日突然見つかることがある。この頃思うのだけれども、ことの真相は実は目に見えない深いところにあって、探しているうちは見つからないのかもしれないと。ただ、そのことを忘れずに、気にかけ続けていると誰かがヒントをくれたりする、そんな感じかも知れないと。
ゴルフコースの修復を仕事とするなかで、そんなジグソーパズルが何枚か完成した。誰かから託されたワンピースをポケットにいれて旅をしていたら、それを置くスペースが見つかることもある。穴だらけの大きなパズルは僕が生きているうちに完成しないのかもしれないけれど、そのときは未完のピースの塊を誰かに託せばいいと、いまは思えるようになった。
シノプシスを考える人、ストーリーを考える人、構成を考える人、演じる役者にそれを撮るカメラマン。スポンサーがいて、聴衆がいて、ひとつのドラマもそうやってつくられるように、ゴルフコースもまたいろんな人の手によってつくられている。いま抱えているパズルは数枚あるけれど、焦らずに、ぴったりはまる一片を待とうと思っている。
とあるご縁でいただいた一冊の本からバーに辿りつき、メニューにのっていない珈琲を口にするまでは5年くらい要しただろうか。丁寧に淹れられた珈琲は500円だけれども、その何倍かお支払いしたいくらい味わい深かった。まさかその後著者と隣席になり、バーボンソーダまで飲むとは想像の外だったけれども、そういう事故は大歓迎だ。