野山に囲まれ育ったからなのかコンクリートジャングルは相変わらず不得意で、人ごみに気疲れをしてしまう。分刻みのスケジュールが当りまえの時代は少々窮屈さを感じてしまう。
ずいぶん先の予約も何時何分まで決まる。液晶の画面を疑うことなく信じ込み、ラフの端っこのほうのカートに揺られ、なんとなくボールを打つゲームになりつつあるゴルフは少々つまらない。
いい風が吹いたね。例えばそんな会話をするようなゴルフが好きだ。自然風景に溶け込んだようなコースを歩くのが好きだ。せっかく雁字搦めの世界から抜け出して非日常を楽しんでいるはずなのだから、できるだけ自然を感じたい。
例えばゴルフコースを語るとき、何に善し悪しを感じ語るのだろうか。生まれ育った場所も違い、生活環境も信条も違う人の評価を教科書のように思うのは早とちり過ぎるかもしれない。鵜呑みにしたデジタル情報を伝道師的に語るのも浅はかだろう。
自分の肌感覚でコースを感じ、好き嫌いを見つけ、語ったほうが良いのではなかろうか。作られた時代背景、綴られた歴史、育ちつつ劣化もする景観、寛容性を保ちつつルートプランが選択できるホールレイアウト、ハザードの可罰性とトリックなど、意識することは多くある。
趣味で焚火をしているが、炎の美しさに見とれることがある。一瞬として同じ形も色合いもないけれど、心奪われる瞬間がある。どこにも人工的な要素が無く、風に揺られるそのプロポーションにはデザインしきれない美しさがある。例えばゴルフコースを修復する依頼があったとき、そんな風になればいいなと思いながら鉛筆を走らせている。
この頃輪厚コースの記事を見かけることがあるけれど、記事を一旦忘れ、白紙の状態でコースを歩いてみて欲しいと思うことがある。自分の肌感覚を信じてみよう。