画狂老人卍を名乗っていた晩年の葛飾北斎は、信州の小布施町を少なくとも4回訪ねている。地元の名士 高井鴻山の招きによって長逗留し、その間も精力的に絵筆を走らせたのだ。
住居のあった江戸(東京都・墨田区)から小布施までは250キロを越える道のり。80歳を越えた北斎が片道を何日かけて歩いたのかは定かではないが、私には「小布施まで歩いていく」という選択肢、発想すらなかった。
とにかく、小布施は長野でも北信である。車で行くか。新幹線と在来線を乗り継いでいくか。そのどちらかしかないと思い込んでいた。
もちろん、今だって、車か列車の旅になるのだが、時間さえあれば「歩いていく」という選択肢もなくはないのだということを、小布施の北斎美術館のビデオ室で知ったのだ(笑)
とりあえず、悠長に歩いて長野までいく時間的余裕も経済的なアレもないわけだが、その前に、歩き通せる脚力が自分にはないだろうと思った。だから、今、とにかく暇さえあれば歩いているのだ。
歩くしかなかった時代。人はどこまでも歩いて行った。時間はかかっただろうが、なんだかそういう時間の使い方に憧れを抱く。いまなら座ったまま数時間でいける場所に、数週間かけていくことに。
一歩一歩、自分の足で進んでいけるのって、もっとも贅沢で幸せなことだ。歩いてどこへでもいける。それだけでじゅうぶんかもしれない。ゴルフだって、幾つになっても自分の足で歩いて回れたらそれでいい。そんなふうに最近思う。