歩くことを日常にして3年が経ちました。自宅から事務所までの行き帰りも、当初こそ大仕事のような感じがしてましたが、今となっては体力的にもメンタル的にもダメージとなるようなことはなく。当たり前のこととして、まさに日常の一部となってしまいました。
新たな生活様式
そんな言葉がトピックスに上がっていますね。働き方改革、新たなる暮らし方。今まで通りにはいかない。そういう機運なのでしょう。
新たな働き方、暮らし方を模索する時にその基盤となるのは個々の思考ですね。誰かが提案することを待っていても、この先、立ち行かないのは明白です。待って、誰かのせいにしていればいい時代はとうに終わっている。そんなふうに思います。
これまで車で通っていた道のりを歩く。そんなことすら誰かに決められたコトであったなら、3日も続かないと想像します。一歩進むごとに怒りや不満が溜まっていくと思います。
自分で決めたコトだから続けられるし、慣れてしまえば、それが大したことではないと気づくことができるのです。今、街には歩いている人、走っている人がたくさんいます。ほとんどの人は、歩くために歩き、走るために走っているのだと思います。片道2時間弱かけて仕事場に向かって歩いている。そういう人はほとんどいないでしょう😅
歩いていける範囲。慣れてしまうと大きく広がります。一度歩いていった場所は、もう一度行けば必ず半分の距離のごとく感じられ、もっと遠くまで歩いていけるのだと気づくことができます。
車で行けばいい。それはもちろんそうです。天気の悪い日、体調がおかしい日。時間がない日。車で行けばいいのです。でも、自分の歩ける範囲を知っておくことはとても大事だと思います。それを知っていれば、車がなくても、電車が止まっても、騒ぐことなく家に向かって歩いていくことができるからです。
それがなくてはどうにもならない。そういうモノやコトはいったいなんなのか。あったほうがいいけど、なくてもなんとかなるモノやコトはなんなのか。一切なくても大丈夫なモノやコトはなんなのか。
そういうモノ・コトをふるいにかけるにはいいタイミングなのかもしれません。
家から歩いて江戸川を越えるなんて、最初は考えもしませんでしたが、今は普通に行って帰ってきます。家から東京は、この3年で歩いていける範囲になりました。都内で被災し電車が不通になっても、粛々と歩いて帰ってこれると思います。
想像できていれば、想定していれば、経験していれば。騒がずに済む。そんな感じがします。