宿で行ってみては?と勧められたので松本民芸館に。3年ぶりの来館。9時の開店を待って一番乗りでした(汗)
信州・松本は車があると急に行動力が低下する。あずさで行くか、車で行ったとしても公営駐車場に停めてタウンサイクルで巡ったほうが快適だ。路地、湧水、水路、そして山を感じなければ行った意味はあまりない。
中央民芸本社。ふらっと入って行きにくい雰囲気(汗)また、普通は用事がないであろう。松本民芸家具のショールームは別にあるのだ。
訪松の目的は椅子の修理について相談することだった。気に入ってメインで使っている椅子の座面のハギが外れ隙間が開いてきたからだった。インスタのメッセージで相談をしたら「長く使うためには直したほうがベター」ということだったので、佐久にゴルフの用事で行った帰りに寄ってみたわけだ。
もちろん、椅子を家財便で送ったっていいわけだが、直接持ち込むことに意味がある。一度訪問してみたかった「中央民芸」のあの建物に立ち寄る口実になるからだ。テレビや雑誌でみたことがあるけれど、職人さんたちが作業に没頭している工場に「観光さん」がふらっと立ち寄っていけるはずもない。今回も修理担当さんは「ショールームでもかまいませんよ」と言っていたが、ぜひ本社で!と多少ゴリ押しした次第。そして念願叶い、工場内をガイド付きで案内してもらったのであった。まさに狙い通り。というか、「せっかくなので中をご覧になりたいですよね」と、完全に狙いがバレていた感じである。
内部の写真はいろいろご迷惑になるといけないので一切撮らず、空気感を感じることに専念した。工場も事務所もだが、そこは令和の雰囲気ではなくそのまま昭和がそこにあった。変わらないことはすごいことだ。受け継いでいるものの重さみたいなものが、中途半端に近代化していない空間の潔さに現れていた。
松本民芸家具の主要材はミズメザクラだが、この虎斑が美しい「材」ももはや潤沢ではないという。植林したとてすぐに使えるわけもなく、里に植えても使える「材」にはならない。山に自生し、数百年風雪に耐え抜いたからこそ、家具として通用する頑丈で美しい「材」となるのだと教えられた。
そう考えると、多少ガタがきたからと打ち捨てて、新しいモノを買い求めるようなことはしてはならない。ガタは直せばまた使えるし、大切に使えば末代まで残る。修理代は安くはないが、だからといって新品に替える意味はない。愛用して椅子にはともにすごしてきた時間の証しが刻まれ、味わいになっている。もはや替える(買える)モノではないのである。
椅子をひっくり返して、座面裏の職人の銘をみた若い担当者は、こう言った。
「座面のハギは外れてますが、その他はまったくガタがきていないです。さすがの仕事だなと感銘を受けました」
松本民芸家具には初期の作品以外は、その家具を作った職人の銘が目立たないところに彫られている。私の椅子には「玄」とあった。すでに現役を退いているが、まだ松本で暮らされているベテランの職人さんだということだった。
「私は修理担当なので、こうやって古い時代の職人仕事を見ることができます。先輩方の作品を見て学ぶことがたくさんありますね」
私の持ち込んだ椅子も、実際にどう直すかは職人が決める。バラして組み直すのがいちばんだが、その結果別の箇所を破損してしまう危険性もある。モノを預かり、後日処置法を連絡するとのことだった。方法が決まっても、数ヶ月は修理には時間がかかるという。
この時間の流れが、本当に最高である。これからも一生を共にする椅子だ。じっくり、ゆっくり直して欲しい。待ちわびるのも幸せだ。年季の入った事務所で修理依頼書にシャーペンで名前やらを書いたのもとても良かった。敷地内に湧き出た名水で煎れたお茶も美味しかった。ちなみにこの湧水で背もたれ部の曲木の浸水処理もしていた。
修理が終わるのは数ヶ月後か。どうせなら取りに行こうか、と思うくらいである。