ゴルフクラブの記事を書いていると、
「許容性」「寛容性」といった言葉を頻繁に使う。
Forgiveness ミスショットに対する「許容性」をいう。
僕らの暮らし。
自分の失敗に対しては「許容性」を求めるが、人の失敗にはどんどん「寛容性」が失くなっている。とくにSNSでのコメントをみているとそんな気がしてならない。無記名をいいことに、すぐに死ねや、死んでよしと処刑しにかかる。
ここで最近読んだ本「日本の言葉の由来を愛おしむ」より、ご紹介。
「許す」とは。ゆるめる、からきているという。
緊張の糸をゆるめる。きつく縛っていた靴紐をゆるめる。そうすると、少しだけ穏やかになれるという。やさしくなれるという。
許すとは、いきなり、なにもなかったことにしろ!ということではない。張り詰めた気持ちを少しだけゆるめてみようよ。それくらいのニュアンスなんだとか。
気持ちをちょっとゆるめるだけで、ひとにやさしくなれたりするのだ。
語源の中にある先人たちの気持ち。“進化した”僕たちは知るべきかな。