祈りのあとに続くもの

災いがありませんように、争いがありませんように、恵まれますように、ご加護がありますように。人々は昔からそう願い暮らしてきた。何百年も、何千年もそうしてきたはずだけど、未だ同じようなことが繰り返されているのは何故だろう。

祈れば叶うのか、祈れば心が整うのか、祈る場所を清めれば自身が清められるのか、祈る場所を守る人になるのか、考えることも大切だ。祈ることが大切なのか、祈るためにすることが大切なのか、そう考えれば少し理解できるかもしれない。

多様性が問われる時代になってはいるが、無秩序をも美化するのは的外れかもしれない。何百年もかけて育んできた文化を古いものとして、異文化を新しいものとするのは如何なものだろう。

いまあるもので満足することは不自由なのだろうか。夢と希望にあふれた未来は本当にエコロジカルなのだろうか。311の日を迎え、人々は平和を祈るのだろうけれど、祈れば何かが叶うのだろうか。

今していること、今大切だと思っていること、今好きなもの、本当にエコロジカルで平和に結びつくことなのだろうか? なんて考えてみたら、あれこれの不合理や不条理に気付くかもしれない。過ぎた日の311を悲しむだけでなく、そう考えるきっかけになればいいなと思う。

 

この記事を書いた人

八和田徳文

八和田徳文

Cultivator/Norifumi Yawata
ゴルフの仕事に携わって四半世紀。ゴルファーの一人として、ゴルフコースデザイナーの一人として、ゴルフに纏わる想いを綴ります。肩の力を抜いて愉しめばゴルフはもっと面白いはず。
ゴルフコース設計家・ゴルフ文化愛好家・芝生管理アドバイザー