写真をありがとう。

昨年、仲間がこの世を去った。

写真を「写す」とはなんなのか、

そんなことをボッと考えてみた。

 

フィルムの時代に写真を覚え、

仕事として始めるようになった。

重いカメラを持ち露出を計り、

レリーズでシャッターを静かに押した。

 

大事にフィルムを持ち帰り、

写っているものがどういうものか。

ワクワクドキドキした。

フィルムを現像し印画紙に定着させる。

そこから浮かび上がる画像に、

愛おしさを感じた。

 

今ではデジタルカメラになり

その場で画像を確認でき、

失敗はなくなり、

写真は誰にでも写せるものになった。

 

しかし便利さと引き換えに、

写らなくなった大切な「何か」が、

またあるように思えてならない。

 

物事の本質とか美しさはその陰の部分に、

あるいはその前後の時空の中に。

ひっそりとあるのではないかと思っている。

 

写真には、その風景や人や物が発する

「気」のようなものを受け取り、

肉眼では見えない「何か」を写し撮る力も

またあるのではないか。

 

そしてそれを定着できた時、

初めて現実を超えた力や美しさが

写真に「写る」のではないか。

 

僕の写真に、

その種の気配があるかはわからないが、

少なくともそうした想いを持って

写真を撮り続けたいと思う。

 

この記事を書いた人

宮本卓

Cultivator/ TAKU MIYAMOTO(TM・PHOTOLINKS)
過去・現在・未来という時間の横軸の一瞬を捉えるのがフォトグラファーの本分だ。その断片に映し出される現在が、過去をもの語り、未来を夢想させる。きりりと鮮明な過去と、不確かではあるが無限の可能性を秘めた未来。そのふたつがあるから、いまという微妙な色彩が際立つのである。モノクロームの色彩。黒と白の狭間で淡くグラデーションするグレーにも似て、いまという横軸はなんともいえない風情、色を醸し出すから面白い。時間軸を切りとり、そこに感情・感性加味して縦軸を引き出していく。それがフォトグラフの断片だとすれば、僕はそんな時空を愉しめるしごとを天職だと思い、ありがたく思っている。マジックアワー、時の線引きが曖昧な風景の中で、そんなことを思う。
ゴルフ写真家/全米ゴルフ記者協会会員/世界ゴルフ殿堂選考委員