たかがとされど

先日出かけたギャラリーから葉書が届く。封をしない葉書に綴られた直筆の言葉には人柄がでる。ご本人の優しさも、こちらへの気遣いも、すべて文字や切手に表れる。

まいにち数十通のメールが配信されてくる。タイトルを見ただけで、差出人を見ただけで、開封もせずゴミ箱に捨てるものが殆どだ。郵便物もそう。毎日何かしらのものが送られてくる。勧誘や案内が殆どで、まれに請求類が混じる。無駄だなぁ、と感じることが実に多い。

そういうなかでふと目がとまり、手がのびるものがある。切手だ。郵便物を届けるための配送料金のかわりに貼り付けている、ただの紙切れだ。たかがそんなもの、というなかれ。僕はいつもそれにホッとする。

プレゼントの包装紙やリボンを選ぶように、茶掛や花入れを選ぶように、たかが切手だけれども、送り主の気持ちが込められていたりするものだ。ただ届けばよいポスタリア印字とは大きく違う。されどと思い、ひと手間かけるだけの価値がある。薄っぺらのデジタル主流時代だから余計にそう思う。

 

この記事を書いた人

八和田徳文

Cultivator/Norifumi Yawata
ゴルフの仕事に携わって四半世紀。ゴルファーの一人として、ゴルフコースデザイナーの一人として、ゴルフに纏わる想いを綴ります。肩の力を抜いて愉しめばゴルフはもっと面白いはず。
ゴルフコース設計家・ゴルフ文化愛好家・芝生管理アドバイザー