
2月以来、小屋にいれば毎日ボールを転がしてきた。プリドーンで打っていると時間も雑事も忘れるのだ。仕事の合間、リフレッシュにちょうどいい。
エアレーションの春をまたぐとボールには砂がたくさん付く。夜露、散水があれば砂はフェースにへばりつく。そして砂を噛めばフェースが傷つく。この先、何万、何百万と打球を重ねて行ったら、硬いステンレスとはいえフェースは凹んでしまうだろうか。
ふと、「穿つ(うがつ)」という文字が頭に浮かんだ。
一般的には「掘れる」「穴が開く」「貫通する」という意味で使われる。
でも、水滴が長い年月をかけて硬い岩肌を穿つように、「同じこと」を繰り返していれば見えてくるものがあるのではないだろうか? それが「本質」だ。フェースが穿つほどボールを転がしていれば、気がつくこと、身に付く何かがあるだろう。本来、穿った見方とは、本質をとらえようとすることなのだ。
ボールを転がし、砂を指ではらいながらそんなことを考えた。
