日光を遠ざける

久しぶりに谷崎潤一郎の陰翳礼讃を読んでいる。現代の暮らしでは想像もつかないが、昔の日本家屋では外光がまったく届かない奥まった座敷もあったという。昼なお暗い部屋の中で、人々は独特の美しさを見出してきた。

例えば漆器、例えば蒔絵、絢爛豪華な金屏風。

これらを見て「まぁ美しい!」と感嘆の声をあげる現代人を私はあまり信用しない。なぜなら、これらは蝋燭の灯りが揺れる仄暗い暮らしの中で、いかに美しく、いかに旨そうに、いかに上質に魅せるのかを考えて生み出された「デザイン」だからだ。LEDライトが瞬くオール電化住宅でこれらを見たとて、当時の「美的な狙い」は理解できないだろうと思う。

谷崎は日本家屋について次のように書いている。

「ただでさえ太陽光線の這入りにくい座敷の外側へ、土庇を出したり縁側をつけたりして一層日光を遠ざける。室内へは庭からの反射が障子を透してほの明るく忍び込むようにする。われわれの座敷の美の要素は、この間接的な鈍い光線に外ならない」

日光を遠ざける。そんなふうに日本家屋を見たことがなかった。でもよくよく見れば谷崎の言う通りなのだ。直接的に光が入らないからこそ、小さな明かり取りから入る光の線にハッとなり、床に伸びた桟木の黒の形や伸び縮みに季節と時刻の移ろいを感じる。障子の奥に揺れる木々、その手前に置いた花瓶のシルエット。光と翳を堪能できるように、無用な調度品を置かず、無地の壁、床を広く空けておくのだ。

陰翳の美しさを楽しむために、暗がりの部屋を作っているのではないだろう。第一義的には日本の風土に合わせた建築の工夫が日本家屋の特徴を生み出している。その日本に適した家屋の中で、陰翳の美に気づき様々な日本的な工芸品や料理の数々が発想されていったのだ。

暗いから明るくしようと工夫をするのももちろん正しいあり方だが、暗いなら暗いなりに楽しもうとする。あげくの果てに「日本のお部屋はね、暗くなくてはならないのだ」までいってしまう精神性に、私はかなり親近感を覚えるのである。

 

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Cultivator/ Yoshiaki Takanashi
ゴルフの雑誌作りに携わって20余年。独立起業してから5年が過ぎたモノ好き、ゴルフ好き、クラフト好き、信州好きな、とにかく何かを作ってばかりいる人間です。
ポジション・ゼロ株式会社代表/CLUBER BASE TURF & SUPPLY主宰/耕す。発起人
記述は2018年現在