
夢は叶うと「日常になる」と誰かが言った。あれほど焦がれていた地位や立場。あれほど手に入れたかったコトやモノ。いざ、手にしてしまえばそれはもう日常であり、つまらないもののように感じてしまう。それは確かにあると思う。
飽きるとは違う、達成感からの「喪失感」。憧れが大きいほど、焦がれた期間が長いほど喪失感が強くなる。追いかけているからこそ頑張れるという側面があるのだと思う。
昔、取材でメンタルトレーニングのコーチに話を聞いていた時期があったのだが、そこで教わったのは目標設定を変えることの重要性だった。たとえばプロゴルファーになることを目標にしていたら、それが叶う可能性が高まった時点で目標を変える。プロになった後の成績的な目標をより具体的に時間を区切って設定。そしてその新たな目標も達成しそうになった段階で、さらに高い目標へと変えていく。要は、決して満足感、達成感を覚えないように少しずつ目標を上へ上へと変えていくことで、気がつけば当初は思い描いてもいなかったレベルまで到達できる、という話である。
最近、同じパターで毎日ボールを転がしていて思うことがある。それは道具も手に入れて終わりではないということだ。手に入れたら今度は使いこなす、使い慣れるという楽しみが始まる。大事なのはそれが毎日でも手に取りたくなるほど気に入ったモノであるということ。毎日手にしてボールを転がしていればわかることだが、同じ道具でもいい時もあれば全然ダメな時もある。結果のバラツキを生み出している犯人は「自分」であることがわかるのだ。
どんな高価でレアなゴルフクラブでも、それを手にした瞬間を頂点に「高揚感」は急速に下降していくものである。なぜなら、クラブを新調したって、たいして結果は変わらないからだ。期待値が高ければ失望も大きい。
新しい道具を手にすることはゴールではなくスタートなのだ。どんな道具でも使いこなす必要がある。使い慣れた道具でやるゴルフが「自由自在」で楽しいのである。
今、どんどんゴルフクラブの使用期間は短くなっている。数ラウンド使って結果が出なければすぐに売って、新しいのを買う。そしてまた売って、新しいのを買う。使い慣れるという感覚、プロセスがないのだ。
あるいは、どう使っても結果があまり変わらない。そんな道具になってきているのかもしれない。努力しても慣れることがない。どうにも使いこなせない。感覚的に使えない道具なのだとしたら、それは最も「難しい」と言えるのではないだろうか。
