松代焼が盛んに使われた時代は、暮らしが貧しく、従って「物を大切に生かし、つつましく生きた」時代でもある。しかし暮らしの精神的質は意外に高く、むしろ今より高かったのではないかとさえ思う。
自制を失った限りない膨張が、人間の生存を危うくしている。物には限りがあり、限りある物を大切にしなければならぬとしても、その物は「大切にするに足る」ものであって欲しいと思う。昔の暮らしは貧しかったとはいえ、その暮らしを支えた品々は、おおむね味わいの深いものであった。だからこそ、つつましい中にも、心豊かでいることが出来たのであろう。昔の松代焼を眺めながら、そのようなことを思うのである。
唐木田又三 著「信州 松代焼」平成5年12月20日発刊
写真は信州 松代焼の復興に尽力した陶芸家 唐木田又三氏の作品である。小屋で仕事を始めてすぐに買った物だから、もう10年近く気に入って使っている器である。冒頭に引用した文章は、唐木田氏が生前にまとめた松代焼についての本に記されていたもの。
「大切にするに足る」ものであって欲しい。で、なければならないではなく、欲しいと願っているところに、これは単に焼き物の話なのではなく、世の中、全般に対する思いなのだろうなと受け取った。
確かに、やれ物を大切に、それSDGsだと言ったとて、次々に従来品を超えるモノが出てきてしまっては、大切に使い続けるのは極めて難しい。もっと!を煽るのがビジネスの基本なのだろうから。
お題目と実際にやっていることは、知っての通り、逆である。
唐木田氏の湯呑みは、たまたまネットオークションで見つけたものである。色合いと淡い釉薬の溶け方に一目惚れした。購入してから箱書きを頼りに調べを始め、唐木田氏のことや松代焼であることを知った。そして、この色合いが、その松代焼のいわゆる王道ではなく、氏が晩年、自由奔放に作成した「さび焼」というものであることも知った。
この器は、私にとって間違いなく「大切にするに足る」ものである。唐木田氏は平成24年に他界されている。機会があればこのことをお伝えしたかったな、と少し思った。大切にしてます、と。