信州旅・雑感

1958年の開館以来、時を告げ続けている塔の鐘鳴らす「引き金具」。

九時、お昼、五時。カランカラン、カランと鳴る碌山館の鐘。安曇野に響く、アカデミックな音色だ。鋳物で出来た重たそうな引手金具が頑丈な鎖で繋がり、鐘を揺らす。およそ70年ずっと使い続けているのに、なお壊れてしまうことがない。この先も100年持つであろう、手脂や摩擦で艶やかに光る金属の輪っかであった。

 

おそらくは、傍に下がっている案内板もずっとここにあるものだ。素朴なものだが十分に事足りているし、これがまた景観の一部となっている。70年あまりの中で、こいつをアクリル板にしてしまおうと思った人がいなかったというのも、開館時の精神が代々の係員に継承されている証拠である。

変化を望まなければ、このように多くのものは平気で数十年の時を超える。使い続けることができる。変えることでお金は回る。回すために変える。でもたぶん、この美術館を造った人たちが伝えたかった美の精神は、変わることのないものだと思う。だからこそ、この空間も変わらないようにと、手をかけられている。

でも実際、変わり映えのしない空間は、お金を産みにくい。人もまばらな碌山美術館の現実を見ると、変わらないでいることこそ至難の業なのだと、毎度のことながら思うのだ。

変わらないことに「尊さ」を感じる人が増えたらなと思うが、現実はその逆だろう。変わることこそが、美徳。どんどんそうなっている。

 

 

この記事を書いた人

CLUBER

Cultivator/ Yoshiaki Takanashi
ゴルフの雑誌作りに携わって20余年。独立起業してから5年が過ぎたモノ好き、ゴルフ好き、クラフト好き、信州好きな、とにかく何かを作ってばかりいる人間です。
ポジション・ゼロ株式会社代表/CLUBER BASE TURF & SUPPLY主宰/耕す。発起人
記述は2018年現在