僕らは「多様化」というワードに感化され、選べることが道具の進化であると思い込んでいるけれど、本当は選ぶ必要のない道具を求めているんだよね。これを使っておけば間違い無いだろうというものを。
PINGの「ANSER」とか「EYE2」とか、「グレートビッグバーサチタン」とか、「ゼクシオ」はそんな感じだったんだろうな、と思う。
多様化はもちろんわかるんだけど、それは何となく日本には馴染まないような気がする。売る側も買う側も。選ぶよりも、誰かに正解を決めてもらいたがってる。自分で決めるのは相当、「苦手」でしょう。
選べるよりも、選ぶ必要がないこと。日本においてはそれが究極なんじゃないかなって、ふと原稿を書いていて思った。
多様化といっても自分に合うのは選択肢の中の一つかふたつ。結局、それぞれにとっては「一択」なんだよね。
そのうち、正解を「AI」に決めてもらうようになるのかな。