ふと小さい頃の風景が蘇ってきた。それはおじいちゃんの家の景色。いや、おじいちゃんちの音の記憶といったほうが正確だ。
父方、母方を問わず、おじいちゃんちは静かな感じだった。テレビや音楽の音が聞こえていなかった。最初の一分で挨拶をして、元気だったか? それはよかったよかったと言われてその後はさして会話も弾まず。子供にはなかなか厳しい時間だった。とくに母方のおじいちゃんちは厳しかった。
そんな時に、妙に大きく聞こえていたのが時計の音だった。コチ・コチと振り子が行き交う音、30分ごとにボーンと来る鐘の音。ちょっと気まずい雰囲気の中で時間の音だけが聴こえていた。
この小屋をどういうショップみたいな空間にしていこうかな、と考えた時に、突然聴こえてきたのがおじいちゃんちの時計の音だった。音と一緒に、風景が蘇った。
おじいちゃんちに行くのはだいたい昼間だったから、部屋の電気はついていなかった。晴れの日なら明るいし、曇りの日は仄暗かった。そして、余計な音がしなかった。ふとこの小屋って、おじいちゃんちに似てるな、って思った。ショップだからといってBGMとかは無用だと感じた。
ここで聴こえてくるのは、ゴルファーが打席でボールを打つ音。ショートコースであがる歓声。鳥のさえずり。行き交う車のエンジン音。雨が屋根を叩く音。
でも、何か足りない。
よく考えたら、この空間でしか聴こえない「内なる音」がないのだ。ふと、おじいちゃんちみたいな柱時計を据え付けてみようと思った。小さい頃は苦手だったのに、今はとてもあの音が欲しいと思う。この空間で何かを鳴らすとしたら、あの時間の音。それ以外はちょっと思いつかない。