MOE86(コレで、もうええやろ)という開発コードネームがキャッチーなので意外に霞んでしまっているが、このクラブを発想した浮世さんが伝えたかったのは、“ティーショットなんてパッティングをするための単なる1打に過ぎない”ってことである。
常に最大飛距離が必要なわけでも、超精密なターゲットショットが求められているわけではない。ある程度の飛距離を、次がそこそこ打てる場所に打てればそれでよし。第二打だって同じ。そこそこグリーンのそばまで行って、3打目のアプローチがうまく寄せられたらパー。外してもボギー。
ゴルフって、結局最後のパットを何回打つかでスコアが変わるもの。一喜一憂、喜怒哀楽はグリーン上で表したい。
ティーショットはパットを打つための単なる一打に過ぎないのに、どうも“重き”が置かれすぎる。最大飛距離をイメージして強振し、ティーショットで3打、5打を費やし、ティーイングエリアでゲームが終わっている人も多い。それではちっともゴルフが面白くないではないか! ということだ。
グリーン周りにいくまでは、そこそこでいい。振りやすくて、当てやすいクラブを手にして、ある程度のところにボールを運ぶだけでいい。とにかく気負わずにボールを打っていきたい。それを浮世さんは「お散歩ゴルフ」と呼んでいる。怒り肩でお散歩する人はいないからだ。
そんなに飛ばさなくてもいいだろう。完璧でなくてもいいだろう。こんな感じでも次が狙えるからいいだろう。“それが打てたら、もうええやろう。プロじゃないんだから”である。
プレーを見てると、浮世さんだってグリーン周りのアプローチからパッティングでは真剣さが増す。お散歩は“適当”とは違うのだ。カップに近づくにつれ集中する。真剣だからこそ、最後のパットが入ったか、外れたかで、コンマ何秒だけど、浮世さんだって結果に一喜一憂しているのである。
FOR THE PUTTING
私はMOE86の開発当初から話を聞いてきて、カップまで最も遠くで使うクラブに、あえてこの言葉が刻まれた意味を大事にしたいと感じた。そして、その意味を共有できたなら、たぶんゴルフクラブなんてなんでもいいのだと思った。仮にMOE86チタンでなくても、ゴルファーそれぞれが気楽に一打を打って、グリーンに向かって踏み出せる、そんな一本を持てたならゴルフがもっと楽しくなるのは確実だから。
ティーイングエリアや第二打であまり鼻息を荒くしないでね。その集中と気合は最終パットまで取っておこう。変わったネーミングの道具を作って、それをゴルフ仲間に伝えたいだけなのだと思う。
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